由緒 | 湯原山八幡宮は、御堂原の郷士湯原源左ヱ門常弘という人が、村上天皇の天徳2年9月(958)京都石清水八幡宮の御分霊を、勧請して現在地に奉祀したと伝えられ、永録年間(1560年頃)火災に罹り縁起等炎上した。社殿は何回も改築され、棟札によると神殿が享保5年(1720)9月、拝殿が安永4年6月(1775)に造営されたもので、約二百数十年たっている。江戸時代は吉川藩の東方鎮護の社として崇敬されたようである社家永田家は御勧請の時京都より同道してこの地に下り、初代藤原利正以来御奉仕を続け当主が36代目に当たる。氏子は旧小瀬村全域で昭和30年岩国市に合併し、岩国市大字小瀬となり、戸数約450戸、八幡宮に対する崇敬の念篤く、社家との関係も非常に親密である。社有林は7町歩以上あり、そのうちの約5町歩は先代永田利明が、明治33年より請願をはじめ、幾多の困難を克服して明治38年漸く官有林の払下げに成功し、明治末期植林し約樹齢七十数年の美林になっている。2町歩は現宮司が昭和32年市有林の払下げを受け、54年4000本の檜を植林し、400年以上の大木と明治、昭和の造林などで、近郷に珍らしい檜樹林として成育している珍らしい神事としては、幼児の筋切り(ひきつけ防止)祈祷が、社伝として伝わり、氏子内は勿論、大竹、大野方面よりも参拝者があり、霊験あらたかである。昭和58年8月建之。 |
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