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詳細情報
神社ID/コード | 6778 | 1018 | |||
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神社名/通称 | 河内神社 | ||||
(ふりがな) | かわちじんじゃ | ||||
郵便番号 | 740-0305 | 鎮座地 | 山口県岩国市二鹿147番地 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》罔象女命、大山祇命、中山祇命、麓山祇命、正勝山祇命、山祇命、素盞嗚命、《配》素盞嗚命、素盞嗚命、罔象女命、大山祇命、梅津中将 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 河内神社は、明治42年(1909)8月、四社を合祀の後ち、元、二鹿神社の境内及び社殿の存する今の社地に、宮ケ谷より移転し現在に至れり。二鹿神社の創建は朱雀天皇の御代、人畜を損し、且つ帝都を侵害せんと企図せる二頭鹿(承平天慶の乱以降に於ける平將門、藤原純友らの乱行の余波)に対し、勅意による征討の師梅津中將(近衛家元祖)は兵を率して追跡し当国まで西下、斯くして漸く之れを討伐、然れども梅津中將も、亦任務の達成に精根も消耗、疲労困憊其の極に達し此の地に於て遂に薨去せらる。仍而、承平5年乙未(935)4月明神屋敷と称する地所に創祀、421年の星霜を経て正平11年丙申(1356)6月、竹之屋敷(現在の社地、江戸時代初期凡そ150メートル四方は竹林)に移祀せり。河内神社の創建に関しては、今徴す可き文書記録等散逸し不詳なれども二鹿社縁起に起因し、山河渓谷を汚穢せるを懼れ、承平年間に創祀の古社なりと相伝えり。尚、二鹿神社の社領五石あり、又河内神社二鹿神社に藩主吉川広嘉の奉幣あり。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
御影 | |||||