由緒 | 合戦場の守護神として、磐根神社が今の所に初めて建てられたのは、徳川家康が将軍となって徳川三百年の基をきずいた江戸時代の始めの頃です。当神社には主祭神として磐裂(いわさく)の神、根裂(ねさく)の神経津主(ふつぬし)の神が奉られ、これを磐根三神と申します。岩もさき、木の根もさく程の力持ちの神々磐根三神は皆「イザナギノミコト」という高貴な神様の神剣の神威を御神体とする神様で時にのぞんで強い精神力と又温かい心を私達に与えて下さる神々です。或る時には乾天に慈雨を恵んで下さる雷神として又農耕開拓の神として当地開発に努められ我々の先人を守護された神々であります。現在の建物は今から約百三十年前に再建されたもので、壮麗(そうれい)な権現造りの様式で殊に拝殿欄間の彫刻は美しく、又拝殿の屋根の鬼瓦にも見るべきものがあります。当神社を星ノ宮神社又明治初期には、虚空蔵様(こくぞうさま)と呼んだ時があります。これは昔神仏混合時代の考え方として、日本の神様は印度のほとけさまがかりに姿を表わしているものだといわれた時代がありました。そういう考え方の中で磐根神社の神様は、実は仏教でいう仏様である。こくぞう菩薩と同一のものだということで当神社は星の神だ、星の宮だということになったのです。 |
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