由緒 | 当神社は庚申山を霊神の鎮まり座す御山として、古来庚申ノ神御降臨の浄域にして尊崇せられ、神護景雲年間(今より千二百余年前)、天台の僧勝道行者、光嶺を目指し難行苦行を修し神秘を開かんとす。然るに当時は深山にして、世に知らしめること少なく、勝道行者山嶺に篭り専念修行の末、遂に天津祖庚神ノ神に感応し大願を果たし山上の巌窟に小祠を造営し、庚申ノ大神として天津祖庚申猿田彦大神、地津主申子大己貴大神、人津霊己巳少彦名大神、三柱の大神を奉祀したのが庚申山猿田彦神社の創建である。のちに全祐行者、四季を通じて山嶺に篭り苦行を修し、遂に庚申秘法を修得、相つぎ天保年間、木林行者山嶺に篭り苦行の末、宝玉を授かりたり。庚申秘法、宝玉を加持祈祷するならば、子育て開運、五穀豊穰、国家安寧、諸願の道は開くものなり。また、山内には庚申御別名として、道祖神、寿命神、金神、塩竃神、幸神、縁結神、船玉神を開運七福庚神として光嶺に配祀し、神威四海にかがやき、御神徳を八方に施し、森厳自から霊嶺にせまり、仏法僧、鳥の鳴き声岳石渓谷に響き渡り、月光は山内をくまなく照らし六根ざんげの前庭には無想の露も結わず晴風は岳石をくまなく祓清め、実に現世の神界人生安息の霊場なり。特に当山以外自生しないまぼろしの霊草、庚申草(特別天然記念物指定)あり。安政年間には大先達松翁行者、光嶺に登りて山篭し、練修策道にして霊嶺の神門を開き實路を開きて登拝者を先導き全国的に庚申信仰ひろまり、主に江戸講中を始め川崎講中、常陸の猿島講中が中心に社殿、社務所、山籠所を庚申山中腹に建立し、霊域の尊厳を示す(特に庚申山碑、丁程碑は当時の隆昌をしのぶ足跡として現在に残在す。また、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」中、庚申山怪猫退治の章では奇岩怪石、霊域の神秘を、広く紹介される)以来、庚申講中登拝者ひきもきらさず。のちに大先達中村幸三郎行者、御山に篭り苦行神門を修得、畏き御三柱の尊姿木像を彫刻、御神霊感遷し庚申山奥之院に斎祀する。相つぎ大忍坊山主から多島元寿宮司に至って、奥大岳皇海山に實路を開き山上に青銅の剣を奉納、また登拝者の便をはかり導きしため、近県他県より年々登拝者は数を増し今日に至る。此の間社殿、参道の改修に奔走したが実現におよばづ、昭和21年には社殿を焼失してしまい、以来小祠にて斎祀してきた。現在、銀山公園の、庚申山猿田彦神社里宮遥拝殿にて、参拝者の便宜をはかり「庚申の里」として親しまれ多くの御参拝者を集めている。他県諸般者各位ご賛同の上、御入講あらんことを切望する次第である。 |
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