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神社検索(栃木)

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基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
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主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード14180 画像収集中
神社名/通称三島神社
(ふりがな)(みしまじんじゃ)
郵便番号鎮座地栃木県那須塩原市三島
氏子地域
電話番号0287-36-6803FAX携帯電話
主な祭典祭典日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名相馬 秀和(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》豊受大神,三島大神,《配》護国の英霊
フリガナ
御神徳
由緒御祭神三島通庸は、薩摩藩士三島通純の長子として天保6年(1835)、鹿児島郡武村(現高麗町上の園)に生れ、幼名を林太郎、後弥兵衛と改め、長じて弥兵衛通庸と名乗る。幼時より経書、剣術、兵法史学を学ぶ。亦至誠、不撓不屈の精神を持ち、一面詩人でもあり、哲学者でもあった。明治維新に際し、志士として活躍、明治4年(1871)、西郷隆盛に招かれて出府、東京府権参事、兵部権大亟、明治7年酒田山形県令、明治15年福島令、続いて16年栃木県令を歴任、山形往来の折り、那須野ケ原の荒蕪地を望みその開拓を計った。明治13年、開墾に着手、明治19年までに開墾地の大部分を入植者に分譲永住させた。明治18年(1885)、警視総監、20年、華族に列せられ子爵を授けられ、21年(1888)10月23日歿す(享年53才)。殊に敬神愛国の念に燃え、地方産業の発展は、道路の開さく改良にあるとして(後記参照)又那須疏水事業を援護し、地方長官としてその信念を貫かれ、その力量は、一世に卓越せるものであった。三島神社は、通庸が明治21年逝去の後、明治39年7月、三島の村民一同と塩原町の有志は、その高潔な徳と偉業を称えて、三島神社祭祀の儀を起し、開拓者縁のこの地に有志者の寄進と三島家の援助により、該工事の完成を見た。奥宮母智丘神社は、敬神の念篤き三島通庸が、宮崎県都城鎮座母智丘神社より、明治13年に御分霊を、開拓移住者の守護神として、奉斉した。両神社とも明治40年10月に改築、更に42年10月には、本殿、幣殿、拝殿の新築に着工し43年9月竣工した。昭和27年、宗教法人法施行さるるや三島神社を「宗教法人三島神社」として神社本庁の承認を受け、境内地一切を三島義温氏神社に寄進された。昭和55年三島開墾満百周年に当り、三島神社社務所改築、母智丘神社御神庫の新築等が、氏子の浄財寄進によってできた。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅
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