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詳細情報
神社ID/コード | 6495 | 0 | |||
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神社名/通称 | 八幡宮 | ||||
(ふりがな) | はちまんぐう | ||||
郵便番号 | 6995613 | 鎮座地 | 島根県鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | その他 | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》誉田別尊,息長足姫尊,玉依姫命,《配》天於受女命,大山祇命,宇迦能魂命,菅原道真,佐陀比古命,大己貴命,水波乃女命,新田義興,国常立 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | このお宮の起源は約壱千年前、天暦年間に郷士山根六佐エ門と云う人が宇佐八幡宮より勧請した時に始まります。更に弘安5年秋、中国西藩の旗頭を拝命して能登の国んら西下した石見国木部木曽野(今の津和野町木部)に仮の居を定めた吉見三河守頼行公が鶴ケ岡八幡宮を勧請せられました。社殿が木曽野から此の地に移されて改築せられたのは三本松城(今の津和野城の事)が完成した嘉慶元年(1387)吉見頼直公(頼行公の嫡子)の時代であります。この広大な流鏑馬の馬場は当時鶴ケ岡のそれに模して構築せられたものです。爾来三本松城の守護神として吉見、坂崎、亀井歴代領主の崇敬厚く、亀井氏の時代には藩中の3大社と称される神社の中の最高位に置かれておりました。他の2社は祇園社(今の弥栄神社)と武霊社(今の津和野神社)であります。流鏑馬の馬場は日本で唯一の原形を留めて居る貴重な文化財であり、又日本で初めて公園と云う名詞が用いられたのは此の鷲原公園で天保3年に奉納された額に書いてあります。社殿の石彫唐獅子は藩の彫刻家大島松渓の名作、本殿の左平地には藩の画家三浦紫YENの梅の画碑があり、その上丘に樹齢1000年を越える大杉(周囲8.7米)が天高く聳えております。(注)文中のYENは「田」偏に「宛」です。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
HP(主) | 神社写真/HP(副) | 八幡宮写真集(googlemap)/HP(副) | |||
御影 | |||||