由緒 | 当神社は八幡宮と呼称し、御祭神は品陀和気命で御鎮座のことは詳細にはわからないが、慶長8年(西1603)と記されている。乙原は古来吾郷の天津神社の氏子であったので参拝不能の老若男女が、此の高所に集まり案を設け心からのお供え物をして、天津神社を遙拝したことから一般に机立山と唱えていたのを後に八幡宮(應神天皇)を勧請し、山号を机立山と称するに至る。享保年中(西1716~1735)何者かが殿中に忍び入り、御神体を持ち出すという事件があったことから、安田貞平と言う人が現在の御神体(品陀和気命)を安置した。ところが、嘉永6年(西1853)に至って旧の御神体が殿内で発見されたことから、八幡宮の境内に社殿を新築して御神体を安置し古八幡宮と称してお祀りしている。また、明治22年1月15日には八幡宮の社殿を焼失したが、氏子の尽力により翌23年再建した。古八幡宮と並んで境内に祀る山神社(大山祇命)は、承久年間(1219~1221)銅ケ丸鉱山発見に際し勧請、乙原字竹口に鎮座したが、銅ケ丸鉱山の閉山後社殿の荒廃を心配した崇敬者一同が願い出て、大正13年10月12日(西1924)八幡宮境内に移し、お祀りしている。 |
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