由緒 | 当社は往古貴布禰大明神といったが、明治になって貴布禰神社と称するようになった。第113代東山天皇の御代、元禄3年(1690)に京都愛宕郡鞍馬村の貴船神社の御祭神雷神犬山祇神タカオカミを勧請したと伝えられる。まもなく板倉摂津守の御祈願所になった。御社殿は、棟札によると元禄7年1694)願主渡辺惟親によって建立され、寛政3年(1791)本願主渡辺統右衛門惟房によって再建、天保11年(1840)願主渡辺清左衛門源正明によって修復され、現在のものは明治13年(1879)本願主渡辺淡平によって三再建されたものである 境内には「貴船宮、明和8年卯10月吉日 施主末永善三郎秀勝」の銘のある石鳥居、「明治4年末正月吉日 当村願主時松松造」の銘のある百度石、「明治44年桂月 都窪郡清音村軽部江口虎太郎」の銘のある注連柱、「文化5戊辰 備前岡山信者中」、「文化2辰年十月吉辰 備前岡山佐々木氏」の銘のある石燈籠各1基があり、当病平癒にご利益がある神社として江戸時代から明治にかけて小田郡のみならず、岡山方面にも信者をもち、栄えていたことが知られる。当社のおつかいはキツネであるといわれ、本殿の横には出入りする穴が開けられている。高梁川が洪水で渡れない時には、キャンキャン鳴いて知らせたといい、握り飯が好物でお供えしておくと必ず次の日にはなくなっていたという。祭神のタカオカミは雨かんむりの下に口が3つ、その下に龍と書く。 |
---|