由緒 | 当社は、阿蘇津彦命、阿蘇津姫命を奉祀する。 御創立は第50代桓武天皇の御代延暦3年、九州肥後国阿蘇神社から勧請したと伝えられている。 社記によれば阿蘇神社から当国小阪部黄山の大悲之口という所に二柱の神が顕れたが人々はこれを知らなかった。ところがこの頃、旅人が道で災いに遭った。人々は不思議に思って旅人を助け養ったところ、或る日この旅人が「我はこの山の主なり伝々」と口走るようになった。人々は恐れ、領主にも報告し、人を集めて山に登ったが何故か分からなかった。 その後、ある猟師が猟をしようと山に入ったところ大蛇に出遭って驚き、里に逃げ帰った。話しを聞いた名主、神主を始め村人が再び山に入ったところ、「トグロ」を巻いた大蛇がいた。その姿が神々しいので神主が拝礼して「御本体があるのなら顕れ給え」と祈ると、大蛇はそろそろと山を登って行った。その後に続くと、不思議なことに黄山の7合目の大悲之口に一夜にして出来たと思われる池があり、大蛇はその中に入って行った。そこで3人の巫女が祈ると、3人目にようやく神が顕れて「我は肥後の国阿蘇郡阿蘇大明神なり、我を信ずれば富貴繁盛、人民息災なるべし」といった。 それからは黄山を大阿蘇(後大佐山)と称し広磐(現在の社地)へ仮殿を造り阿蘇大明神を勧請し、24年後の大同3年9月18日御遷宮が行なわれた。上刑部2131、高お神社を合祀し境内末社とした。 |
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