由緒 | 当社の御祭神は郷社昇格申請書によると大吉備津彦命である。従一位郡大明神御来歴書(旧社家武村家文書・岡山県博物館保管)に、16代応神天皇の御孫産火尊之霊神とある。仁徳天皇の御代に当国下向の時、当郷小殿邑に家臣丹治高雄親貞、多田守重両臣御側を離れず慕い奉る、とあり、御尊寿66才にて小殿邑にて崩御され、親貞都に通報した。帝は備中一宮と成し給い、一郡の大社従一位郡大明神と崇むべく宣らせられ、水田、中津井、呰部3ケ庄の小殿山の峯に御廟を営み、2月17日、11月17日(履中天皇の御代、癸卯2月と記述がある)に祭祀を執行した。 多田、丹治両氏が代々奉仕した。親貞の末孫親清も之を守った。 久しく社頭、神事自然と疎略になり、天正年中、毛利輝元公より水田郷に知行を下され、宮殿、楼閣再興、神事祭礼、社役人、神職の事柄相定められたと平田佐渡守親重の書面が慶長8年2月に記述されている。 以上の御来歴書の如く、由緒は誠に尊く、爾来本殿の葺替等度々行われているが、神社に現存する棟札は天正14年のものを含め13枚で現社殿となっている。 現社殿は慶応元年着工、3年に完成し、宮大工は勝山庄、三谷栄治郎父子が3年に亘り、1本のケカキ(株跡現存・高梁市中央町)から丹誠込めて造営されたものであり、殊に本殿廊下十二支の彫刻、四隅に突出している象鼻(鎌倉時代のものか)は参拝者の関心の的である。現今は家内安全、交通安全、五穀豊穣、疫病退散の守護神として崇敬が篤い。7月16日夏越祭前夜祭に行われる火 祭りは近隣より多数の参拝がある。 |
---|