由緒 | 当社は、高梁市津川町今津に鎮座し、第62代村上天皇の天暦9年(955)9月16日の創建になる古社である。北に中国山脈の連山を望み、南に高梁市街が広がる景勝の地木野山山頂に奥宮があり、山麓の里宮とともに、さまざまの願いにご霊験があり「木野山さん」と親しまれ、日々遠近の人々の熱心な信仰、崇敬をあつめている。 領主の崇敬もあつく、殊に備中松山藩主 板倉伊賀守勝静侯は、文久2年(1862)3月、当社の神徳を崇仰し、軍馬飼育守護神として特に崇敬した。 元治元年(1864)10月、長州征伐に際し武運長久祈願のため社参され、さらに11月には献幣使を遣わされ幣帛を奉られたことが記録にみえる。 古くから流行病、精神病に対するご霊験は殊にあらたかで明治9年を皮切りに中国地方に猛威をふるったコレラ病は一大悲惨事を巻き起こし、この業病を免れようとする人々が昼夜の別なく参拝し、ご分霊の請待も相次ぎ格別のご神威の発揚があった。 明治9年には当社付属の崇神講社が創設され、今日も一般崇敬とともにこの崇神講社は連綿と続いている。また、末社の高■神(たかおかみ)、闇■神(くらおかみ)の神姿が狼とされ、邪悪なものに対して高い神徳があるとして「狼の木野山さま」として古来から畏敬を集めている。注 高■神、闇■神の■は雨かんむりに口3つ、下に龍 |
---|