由緒 | 当社は吉備の国最古の創建であり、鎮座地の全山を麻佐岐山と称し、山頂の霊石を霊代(ミタマシロ)としているため、本殿は無く、山腹の大祓谷に祓所がある。 延喜式内社であり、本国一宮格を定められた。また、岡山藩主池田氏においても、旱魃の時は祈雨の祈願所と定められ、非常の災害流行病などが起こった時には、藩主が祈願の奉幣を行った。享保18丑歳5月岡山藩主池田継政の自筆による五穀成就祈願の守箱が現存する。 式内22社の明細帳には「旧久代村に麻佐岐田の遺跡あり」と記している。 祭神は備中誌には天照大神、吉備郡神社誌には大国魂神とあり、明治40年に村社に列格する。 「備前国式内書上考録」の内の「備中国式内18社之内4座岡山藩支配所分書上」に「山上に霊石二顆大小二つ粗なる石の玉垣もてかこひ前に一間四面の拝殿立てあり当山は郡中の高山にて四方の眺望甚よし一山樹木なく絶頂に松樹四五十本あるのみなり。如此高山にてうつくしき山なれば社はなくてただの麻佐岐山を神体として斉き祭れるものならんか」と記されている。 その姿は今は緑深くはなっているが、南方の眺めは素晴らしく、遠く瀬戸内海が展望される。 神座(磐座) 麻佐岐神社のご祭神は古来この磐座(巨岩)と云われ、磐座信仰の姿が今に残り、社地は極めて狭く、それらしい社殿の所在した跡も見当たらず、現在簡素な板囲いの幣・拝殿兼ねた1棟が残るのみである。 磐座とは岩石などに神を招いて祭祀を行う神聖な磐境、岩肌のある場所や見晴らしの良い高山や容易に近づけない山頂などである。 当社は清浄な磐座を聖地として注連縄を掛けて、古来から守っている。 |
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