由緒 | 当神社の境内に巨岩がある。口碑によれば古来から霊岩であると尊崇し諸人之を玉石と称へていたが、中世に至って立石と称され崇拝したと伝へられる。これは、神籬磐境の祭祀の形式にして当神社の起源である。 創立年代は不詳であるが、貞観5年9月25日、太政官府所見の国内神名帳の一つである備前国神名帳の内、総社本(綿抜本)に児島郡に座す11社の内「玉比咩神社賀茂郷玉村座」とあり、山本氏本(應永本または八日市本)並びに西大寺本に「児島郡座9社従四位上玉比売明神」、神上金剛寺本に「児島郡11社正四位上玉比咩明神」と記載されており国史の中に記されている。 徳川時代歴代藩主の崇敬篤く元禄元年池田綱政、享保19年池田継政が相次いで寺社奉行に命じて社殿を修復した。神威殊に顕著であり古来から郷土の守護神として崇敬を集め氏子は言うに及ばず近郷近在から参拝する者常に絶へる事がなかった。創祀以来社号は度々変遷し、中世には玉比咩明神、近世に至っては八幡宮と称したが明治2年旧号玉比咩神社に復した。明治40年9月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。現在の社殿は本殿を除き昭和2年の改築によるものである。昭和27年宗教法人として神社本庁の包括神社となり現在に至る。 |
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