神社ID/コード | 6541 | 7303056 |
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神社名/通称 | 中山神社 | 一宮さま |
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(フリガナ) | ナカヤマジンジャ | イチノミヤサマ |
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郵便番号 | 708-0815 | 鎮座地 | 津山市一宮695 |
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氏子地域 | 津山市(一宮、東一宮、山方、小原、東田辺、西田辺、上河原、北園町の一部) |
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電話番号 | 0868-27-0051 | FAX | 0868-27-2377 | 携帯電話 | |
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主な祭典 | 春季大祭(御田植祭) 秋季大祭(御神幸祭) | 祭典日 | 4月29日 11月3日 |
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特殊神事 | |
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お知らせ | 4月29日の御田植祭の中「鍬振り神事」 境内で白装束に黒烏帽子をつけた氏子12名が笛太鼓に合わせて参道の石畳を田んぼに見立てて木鍬を頭上で振り回してから地中に打ち込む様子を繰り返す。 |
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旧社格 | 国幣中社 | 式内社 | | 御朱印 | |
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祈祷 | | 出張祭 | | 神葬祭 | |
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結婚式 | | 宝物館 | | その他 | |
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宮司名 | | (本務/兼務) | | 連絡先 | 0867-42-0382 |
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主祭神 | 鏡作神 |
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フリガナ | カガミツクリノミコト |
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御神徳 | 鍛金・冶工 牛馬守護 |
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由緒 | 当社は文武天皇慶雲4年(707)此の地に社殿を創建して鏡作神を奉斎したと伝えられている。貞観年間官社に列せられ、延喜式に於ては美作国唯一の名神大社であると共に此の国の一宮でもある。 「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べている。 鎌倉時代に元冦など国家非常の時に際し、勅命により特に全国7ケ国の一宮に国家安穏を祈願せしめられているが、当社も其の中に選ばれて祈願を厳修したことが伝えられている。 弘安8年に一遍上人回国の途当社に参詣し念仏踊を行ったが「一遍聖絵」(国宝第八巻)に作州一宮図があって、其の節参詣の図が描かれている。建武中興破れて天正に至る約4百年間は,美作国中戦乱の巷と化し、その為に社寺の祭祀も殆んど絶えようとする有様であったが、当社は永正8年(1511)と天文2年(1533)の両度に祝融の厄に遭い、本殿以下山上山下の摂末社120社と共に宝物・什器・旧記・古文書等悉く炎上焼失した。 永禄2年(1559)に至り、出雲城主尼子晴久戦捷報賽の為め社殿を復興した。世に中山造と称せられる入母屋造妻入檜皮葺で間口5.5間、奥行5.5間、建坪約41.5坪の宏壮雄大な御本殿であって、大正3年国宝建造物の指定を受け、現在は国指定重要文化財の指定を受けている。 慶長8年森忠政美作全州を領して入封するに至り、国内漸く平定し歴代の藩主の崇敬も厚く社領の寄進や修築の資の奉献など絶えることなく、又「一宮さま」と親しまれ、朝野の信仰を集め、中世より近世にかけては門前市も大いに繁昌した。 明治4年国幣中社に列格。御祭神金山彦命と定められた。これにより明治年間再度に亘り御祭神名を「鏡作神」に改められる様願出でたるも聴許せられず終戦を迎え、昭和21年宗教法人中山神社設立届出に当り御祭神名を主神鏡作神、相殿に天糠戸神、石凝姥神配祀と総て明治以前の社家伝承や旧記類に明記せられている御神名に旧した。 宗教法人中山神社となった後も、御本殿以下諸建造物等境内の森に至るまで昔のままの姿にて防災施設も完備し、美作国の一宮と広く尊信されて現在に至っている。 |
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駐車場有無 | 有 | 台数 | 500 | トイレ | |
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記載 | |
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最寄駅 | JR津山駅から北へ5km |
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名所・名物 | |
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地図 | |
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HP(主) | | 神社写真/HP(副) | |
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御影 |
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