神社ID/コード | 331052 | 7301052 |
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神社名/通称 | 素盞嗚神社 | 飽浦稲荷宮 |
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(フリガナ) | スサノオジンジャ | アクライナリグウ |
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郵便番号 | 702-8013 | 鎮座地 | 岡山市南区飽浦1389 |
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氏子地域 | 岡山市(飽浦、北浦の一部) |
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電話番号 | 086-267-3317 | FAX | 086-267-3317 | 携帯電話 | |
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主な祭典 | 御日待祭 秋季例祭 元旦祭 | 祭典日 | 3月20日に近い土曜日 10月第2土・日曜日 1月1日 |
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特殊神事 | |
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お知らせ | 末社の稲荷宮の祭神 倉稲魂命は、穀物の神、特に稲の精霊とされ、稲荷は稲生り(いねなり)の転化したものという。俗にいうおきつねさま(神狐)は、倉稲魂神のお使いである。 当神社でも、御神霊の力によって、美しい白狐のお姿を見せて頂いた崇敬者が少なくない。 ご利益は、商売繁盛、家内安全、交通安全、火災・災難除け、子孫繁栄(子宝安産)及び学業成就、芸能上達など、その他多彩である。 |
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旧社格 | 村社 | 式内社 | | 御朱印 | |
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祈祷 | | 出張祭 | | 神葬祭 | |
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結婚式 | | 宝物館 | | その他 | |
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宮司名 | | (本務/兼務) | | 連絡先 | 086-267-3317 |
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主祭神 | 素盞嗚尊 |
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フリガナ | スサノオノミコト |
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御神徳 | 家内安全 商売繁盛 厄除け 病気平癒 交通安全 |
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由緒 | 『 網引きする海女とか見らむ飽の浦の 清き荒磯を見に来しわれを』と飽浦の地は、『万葉集』巻7に詠まれている。 時は平安時代末期、源平合戦の代、京を追われた平家は、児島の藤戸(現在の倉敷市藤戸町)に陣をはった。源氏方は対岸に陣をはったが、船が揃わなかった為に、平家を攻めあぐねていた。 しかし、源氏方の武将 佐々木 三郎盛綱は、一ケ所だけ馬で対岸まで渡ることができるという 海の道 が在ることを、近くの漁師より教わった。そのお陰で彼等は先陣をきって馬で対岸へ渡り、 源氏方に大勝利を納めるきっかけをつくった。(平家物語「藤戸の渡し」の段,この後 檀ノ浦 の合戦に至る。) 後に、佐々木三郎盛綱は、その戦功として、将軍 源 頼朝から、児島全土と小豆島一帯に及ぶ広範囲な領地を賜わった。 以後、佐々木氏一族は、飽浦の地に居城(現在の高山城跡)を築き、地名にちなんで、氏名も『飽浦 三郎』と名乗った。 この土豪、飽浦氏一族の守護神として奉斎した神が、素盞嗚神社に鎮座されている素盞嗚尊である。 また、稲荷宮は、この後鎌倉時代末期の建武年間に、飽浦三郎の子孫である 飽浦三郎右衛門信胤が深く信仰した、山城国伏見(現在の京都市伏見区の伏見稲荷大社)から御霊を勧請し、飽浦の地に建立したと伝えられている。 江戸中期から栄え、城下からも参詣者が多く訪れたという。江戸時代後期には、城下の東中島町で問屋業を営む商人が、商売繁盛を祈願して奉納した回船の絵馬が、往時を物語っている。 江戸時代の書物『備陽記』によれば、『岡山京橋まで陸路十里、同じく船路二里八町、反別22町余り、家数49人数276、二端帆から三端帆までの船2、池9。神社は素盞嗚神社・稲荷神社があり、両社は同一境内にあり、本殿は別だが拝殿は両社共通の特異な建て方である。』と言う記述があり、この頃より現在のような建築様式であったとうかがえる。 |
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駐車場有無 | 有 | 台数 | 50 | トイレ | |
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記載 | |
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最寄駅 | 両備バス串方面又は上山坂経由宇野港行き甲浦小学校前バス停から南(金甲山方面)へ約30m |
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名所・名物 | |
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地図 | |
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HP(主) | | 神社写真/HP(副) | |
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御影 |
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