由緒 | 当社は古くは「赤子の宮」、「赤子大明神」、「児(ちご)大明神」、「児の宮」、「児神社」等と呼ばれていたが明治6年(1873)2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とする油木北、油木上(久米町)、油木北、油木南(旭町)の4大字の産土神である。また、宝暦5年(1755)の「油木北村神社仏堂由緒書上帳」の中に次の一節がある。一、本社ハ保元干支月日不詳当倭文荘地頭職盛六郎ノ崇敬 ニヨリ本殿造営ノ寄進アリ 但棟札存在セサルモ古老ノ口碑ニ伝アリ、又社記ニ古 書ニ見ユル旨登載ス只惜ムラクハ其書名ヲ欠ク 一、本社は倭文五社ノ一ニシテ当荘ハ古昔堀川院御宇始テ 加茂神領トナリ爾来毎年神説ヲ輪シ以テ競馬会ニ備フ 云々又五社ヲ以テ加茂ニ勧請ス云々又五社トモ古昔各 社領アリシコト作陽誌ニ見エタレバ当時皇室又ハ公卿 武門武将等ノ崇敬アリシコトヲ推測スルニ足ル一、本社創立又ハ主祭タル少彦名神勧請年月日不詳ナレト モ合祀タル伊邪那岐神、伊邪那美神、大己貴ノ三座ハ 保元年間当大字ニ移住シタル倭文荘ノ地頭職森六郎コ レヲ勧請スとあって由緒の大要を知ることができるのである。 |
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