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神社検索(岡山)

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皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と県神社庁が共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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詳細情報

神社ID/コード293297314085 画像収集中
神社名/通称熊野神社権現さま、郷社
(フリガナ)クマノジンジャゴンゲンサマ、サトシャ
郵便番号719-3121鎮座地真庭市上河内3451
氏子地域真庭郡落合町大字(上河内、中河内)
電話番号FAX0867-55-2500携帯電話
主な祭典春祭り 例大祭 冬祭り祭典日4月15日 10月15日 12月12月
特殊神事
お知らせ家相、地相、地鎮祭、命名。境内社・齋神社の公領名・地下名の当屋祭り。例大祭における「獅子練り」供奉。
旧社格郷社式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名(本務/兼務)連絡先0867-55-2101
主祭神伊弉諾神 伊弉冉神 素戔嗚神 稻田姫命 津速産靈神 速玉男命 事解男命
フリガナイザナギノカミ イザナミノカミ スサノオノカミ イナダヒメノミコト ツハヤムスビノカミ ハヤタマオノミコト コトサカノオノミコト
御神徳殖産興業
由緒 当社は小野道風(66才)・藤原佐理(17才)にて昇殿を許され、内裏が完成した天徳5年(961)勅名により紀州熊野三山を美作国河内庄に分祀。村上天皇の天徳5年(960年)那智宮を上河内村下村に、永観年中(983~984)下河内村に新宮を、また上河内村に本宮を分祀された。  時の国司藤原佐理、権守源時中が奉仕した三山の中の本宮が現在の熊野神社であり新宮、那智夫々に約50丁(旧1里)を隔て、紀州の縮景の趣がある。社殿の景観は本宮は豪壮に、新宮は優美に、また那智は枯淡である。この三山をもって河内庄の鎮守とした。  朝廷は神田200石を寄進し、神官社僧各12人を置き祭祀を厳修せしめた。美作国西6郡の3年に1度の大祭は津山市二宮高野神社の社前で国守の安泰を祈祷する祭りであるが、この閏年祭は明治に至るまでしめの大夫須田越中守(当社祀職)が祭典を調理した。当時は作州西六郡に下知し、最盛期は祀職200員を越える作州最大の祭典であった。旧境内地は東西483間、南北495間、約1キロメートル4方で神社を中心に僧房、堂塔・郎党等を配置し、戦国時代は須田越中守郎党は50数騎を数えた。  明治維新神仏判然令により寺院護持のため神社境内地は中心100間四方となった。森氏国除以前の修営は国守においてその費を補助せられていた。現本殿は嘉永3年9月9日上棟。  明治5年戸籍編製に際して旧35区の郷社に列し、昭和20年8月10日県社内定を受く。明治44年には上河内地内の、大正2年には中河内地内の各神社を合祀した。  戦後境内社として護国神社、氏子祖霊社を創建、毎春祭祀を行っている。
駐車場有無台数20トイレ
記載
最寄駅米子自動車道久世ICから東へ約2km。 国道181号線に参道入り口案内がある。
名所・名物
地図
HP(主)神社写真/HP(副)
                            御影
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