由緒 | 当社は、社記によると欽明天皇25年、大巳貴命(大国主命)を字本館(西方約1キロ)に祀ったのがはじまりと伝えられ、和銅6年(713)備前国から6郡を割いて美作国が置かれ、その翌年、国府がこの里に開庁された。 その後、美作国司が今の社地、亀甲山に社殿を移して大巳貴命を主祭神として、一宮中山神社、二宮高野神社の両大社をはじめ、美作65郷のすべての神祇を合祀して総社宮と名付け、その後およそ500年間歴代の国司は皆この御神意を奉じ国内の政治を執り行った。 鎌倉時代になって国府がすたれた後も、この社は美作三大社の一つとして広く士民より崇敬され、近世のはじめ美作国主の森氏は多くの神領を寄進し、後の松平氏も祭粢料(さいしりょう)を奉納し、明治維新後は県社に列せられた。 現在の本殿は、永禄5年(1562)に毛利元就が造営したもので、明暦3年(1657)に国主森長継が大修理を加え、昭和7年国と氏子崇敬者の協力により解体修理が行われた。 この社殿の造りは、入母屋妻入で向拝に千鳥破風を配した独特な様式を持ち、規模も豪壮で華麗な彫刻を豊富に配置した桃山時代のすぐれた建造物で、全国の総社の内で当社のみが大正3年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている。 |
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