由緒 | 当社は元丑寅大明神と称し、主祭神は吉備津彦命外3柱を奉斎し、備中一宮吉備津神社の72社の1社である。 創建は大化元年(645)字中山に本殿主小坂太良左衛門兼次の勧請と伝えられている。 天正3年(1575)毛利氏猿掛入城の際、矢掛神社の大修理を行い奉行の将神刀を奉納する。 天正10年(1582)毛利元清公が茶臼山入城にあたり城下鎮守のため、鳥居を寄進し上下の崇敬者一時に加わる。 慶長2年(1597)三輪検地に際し、御除地の黒印を賜る。慶安年中に大火災に罹り慶安3年再建する。 元禄12年(1679)に庭瀬藩の板倉氏の領地となり御陣屋鎮守として鳥居を寄進し、しばしば幣帛の供進があった。 寛政13年(1801)代官浦野氏から常夜燈一対を奉献される。 文化14年(1817)領主が隋神門を建立する。 大正元年字小林の元村社である鵜江神社を合祀して現在の矢掛神社と改称する。 大正6年に神饌幣帛料供進神社に指定される。 昭和11年から3ヶ年の長きに亘り「昭和の大改善」を行い社務所、神饌所、神輿庫、回廊、神井戸、手水舎の建立、更には参道、玉垣の整備をし近郷まれなる産土神社となり、昭和17年3月17日郷社に昇格する。 |
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