由緒 | 当社は、清和天皇貞観2年(860)庚辰8月14日宇佐八幡宮から勧請し、その後備中守藤原宗弘、藤原良之に命じて祖神天児屋根命を合祀して、同年良之を神主に任じた。 天慶5年(942)壬寅3月15日伊勢大神を合祀する。 明治13年4月前祠掌中尾喜代丸の上書に「祭神品陀和気命、天照大神、天児屋根命」とある。 その後の造営の沿革は、延長2年申上棟。永延2年戌子上棟。寛徳2年乙酉上棟。長治2年乙酉上棟。承安4年午上棟。文永2乙丑上棟。応永11年甲申上棟。文明6年甲午上棟。寛永天文23年甲寅上棟。寛永11年甲戌上棟。宝暦11年辛巳上棟。を行っている。 社職沿革は、貞観2年藤原良之が奉職以来累代に亘り奉仕したが、良之21代の孫良三が病死した後から(承応年間)庭瀬藩主戸川氏が日蓮宗に帰依したことにより、庭瀬村不変院を以て、当社の別当職として良三の三男平太を宮守とした。 その後、維新の改正により明治3年4月、平太夫7代の孫中尾清麿を当社の祠掌に任じた。 庭瀬藩主戸川家、板倉家において累代崇敬した神社である。 延宝5年正月二品良尚親王染筆社号(八幡宮)の額(縦2尺、横1尺3寸5分装に八幡宮の文字)1面所蔵。 |
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