由緒 | 創立年月日不詳。往昔、海神宮より帰登せられし時、お乗せ申した龍がこの地を這迷えり、そこでこの地を龍這浜と言う。延喜中(901~923年)、菅原道真公この沖を御通船の時、当社の松に龍燈上りしと言伝えあり、社辺の樹木悉く幡龍の形を見せる。又、建武3年(1336年)足利尊氏公御通船の時も龍燈上り、軍船大いに喜んで暫く停船するなど、御神徳の発揚、氏人の尊信誠に篤かりしに、明治42年7月3日、岡山県訓令22条により、多額の基本財産の造成・常住神職の奉仕等の条項にて、当時の氏子としては負担に堪え難きにより、同年9月25日、東片岡鎮座八幡宮へ合紀することとなり、以来、里人は恰かも赤子の慈母に遠ざかる念に耐えて、日夜敬慕し、旧の如く御還御を祈りて止めることがなく、その赤心、神慮に通じ衆議愈々熟し、御玉垣の内外に老松高く茂る旧社域を清浄にし、新たに社殿を造営することに決す。そこで、郷民挙げて浄財を奉献し、男女悉く工役に仕え奉り、旧の社殿に増して尊厳にして、神威を長久に輝かすべき社殿麗しく落成す。時に昭和2年のことである。例祭・諸祭祀等厳修しながら、昭和24年宗教法人令第3条により形式上の分祀還御の認可を得て現在に至る。 |
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