由緒 | 創立年代、由緒等は不詳であるが、往古は西大寺窪八幡宮の御神幸所であったと云われる。又、近くの上寺山豊原北島神社の玉垣に川口の人々の名前が刻まれている事から、豊原北島神社との関係も注目され、同神社への参拝が不便なるが故に(往時吉井川が川口地区の東を流れ神崎に注いでおり、今の千町平野は海であった)川口地区にも八幡宮を祀ったと古老は口碑に伝えている。実に往時は、吉井川の河口に開けた集落ゆえに川口と呼ばれたのであり、附近の地名-豊原北島、豊原南島、神綺、浜、新地、新(しむら)-等々を総合的に考察すれば、かなりの古社である事がわかる。現存する棟札で最古のものは、文政4年のもので、 文政4年辛巳年 奉建立 幣殿拝殿一宇 神職 柴俊治守貫 名主 片岡藤三郎 五人組頭 阿部十三郎 世話人 阿部良助 大工 安田常三郎とあり、文政4年巳年9月9日 阿倍 良介との古き石燈篭も存する事より、当時かなりの整備、改築が行なわれ、神職も柴家が代々奉仕していた事が伺われるのである。神社明細帳(明治初年版)に依れば、社鎖は6斗1升を賜わり、神職、柴啓治は先祖平左ヱ門より8代目である事などがわかるのである。更に 天保7年4月、石橋の寄進 阿部 良介 明治17年5月 本殿の屋根替え 明治42年10月 狛犬奉納 柴 葺四郎 大正7年1月 注連柱建立 柴 清七 昭和18年5月 本殿銅板葺替 氏子中 昭和47年10月 拝殿改築 氏子中 等々の寄進や修築がなされて来た事がわかるのであり、寛文年中に戸数70戸と文献に残る川口は、現在も80戸余りの氏子であるが、この小さな川口地区が、立派な氏神様を先祖代々守護して来た事は特筆すべきであろう。 |
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