由緒 | 当社の由緒等は不明であるが、創建は古老の口碑によると応永18年(1411)である。 当初、少彦名命を祀り、後に昔から伊部、浦伊部は菅原氏の荘園であった関係により菅原道真公を配祀した。 社殿は当初、浦伊部宮前に建立されていたが、伊部に疫病が流行した時、当時の伊部村名主に神託があり、天正7年(1570)、現今の地に遷座すると疫病は平癒した。 伊部村民は氏神と崇敬し病気平癒、学問の神、産業陶器の神として神徳あらたかとなっている。 少彦名命(すくなひこなのみこと)は神産日神の御子であり、「日本書記」に大己貴命と力を合わせて国造りをされた神様で「病気を治す方法と災いを祓うまじないの方法を定めた」とあり、医薬の神様、病気平癒の神様である。 菅原道真公(すがわらみちざねこう)は学問の神様で昌泰2年(899)左大臣となり、後に九州に西下される。その途中腰掛けて休憩されたのが、履掛天神宮(伊部西に鎮座)にある履掛石である。 延喜3年(903)菅原道真公没後、天下に雷雨が続き、これは菅原道真公の霊のなすところと延喜9年(909)天神様として祀られ、学問に秀でているところから学問の神と仰がれた。 氏子の中に備前焼関係者も多く、境内には様々な備前焼が配されている。 |
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