由緒 | 当社は元亨2年(1322)法橋道快が上軽部郷11か村の氏子と協力して、山城国菖野郡松尾神社の御分霊を遷座し、上軽部郷の郷社として祭祀されたのが始まりである。 寛文3年(1663)火災により本殿、宝蔵などを焼失したが、貞亨3年(1686)郡奉行と坂辺村・小原村・山之上村・惣分村・出屋村の庄屋が発起人となり、5ヶ村の氏子の協力によって再建された。 本殿は三間社、流れ造りで江戸初期の建築と伝えられているが、室町の特色がよく残されている。昭和43年、赤坂町の重要文化財に指定された。 江戸時代には松尾大明神と称したが、明治2年松尾神社と改称した。大正2年3月神宮山にあった八幡宮を合祀し現在に至る。末社は祇園社、稲荷社、国司社、地神様などが祀られている。 祭日は、江戸時代には旧9月14日であったが、後に10月18日に変更され、その後は長く10月14、15日であったが、現在は10月の第2土曜日と翌日の日曜日である。 祭日には、惣分の八幡宮、下分の天満宮、小原の天神宮、山之上の八幡宮、出屋の御崎宮、持行の八幡宮の6社が、松尾神社の神輿と共に浜の河原に集まる「みこし行幸」の神事が行われていた。 現在は「みこし」神事はないが、子供みこしなどで賑わっている。神社の東の田の中に(ここは旧馬場の東の端にあたる)霊石2個があり、お旅所になっていて、この岩の上に「みこし」を安置して、神事が行われたと伝えられている。 |
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