由緒 | 創建は貞観2年(860年)で、神階は従四位下である。延喜式記載の式内社で、国司祈年所祭神社である。上古には名称から、「クニノカミノヤシロ」と訓読したか、国魂の斎場であったか、或は国津神の降臨せられる斎庭であったかと推察できる。備前藩の地誌「備陽国誌」に、国神社、三門村所祭、大国魂神とある。慶長年間(1596年~1615年)に再建。社領は二石六斗二升である。寛文年間(1661年~1673年)に造営。宝暦元年(1751年)に再建。明和3年(1766年)に国守八幡宮を合祀した。この間備前藩から用材、銀札、制札等の寄進があった。明治36年に社殿が炎上し、社宝、文書を焼失した。翌37年に再建。昭和29年の台風で倒壊、翌30年に鉄筋コンクリート神明造りの本殿を再建した。表参道の鳥居、石階段は元禄15年(1702年)、一対の石灯籠は文政3年(1820年)の築造である。石段は昭和52年に拡幅し、近郷に比類のない立派な堂々とした石段となった。氏子区域は岩井、島田、奉還町、富田町、西崎等39町である。氏子数も年々増加し、縁結ぴ神、医薬、商工業神としての崇敬厚く、参詣者は増加している。また岡山市街の眺望は絶佳である。 |
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