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詳細情報
神社ID/コード | 5853 | 0 | |||
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神社名/通称 | 大蔵神社 | ||||
(ふりがな) | おおくらじんじゃ | ||||
郵便番号 | 639-3435 | 鎮座地 | 奈良県吉野郡吉野町南国栖343 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | その他 | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》鹿葦津比売命、大倉姫命、石穂押別命 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 吉野町の東南端、川上村に通ずる衣笠山の南斜面に鎮座する旧指定村社で、国栖郷一円の鎮守であった。祭神は大倉比売命・鹿韋津比較売命・石穂別命。創祀不明。『大和志』に川上鹿塩神社として「在= 樫尾東川南国栖三村之交界- 今称= 大蔵明神- 国栖荘七村民家相共預= 祭祀- 」とあったことで式内川上鹿塩神社とされた時代もあった。本殿に接して、神宮寺の寺屋敷や庭園などがある。東川村・南国栖村の氏神であったが、明治の神仏分離で別当等は廃寺となった。数10年前までは東川と南国栖が祭典に参加した。神前一対の石灯籠の右側は弘化4年(847)東川若連中から、左側は天明6年(1786)国栖郷から寄進している。その後、東川は当社分霊を自村へ遷祀して氏子から離別するに至った。例祭は9月1日初遡祭として親しまれてきた。本殿は切妻造・桧皮葺の三間社で、内陣に安置の神像はいずれも鎌倉期の作。社宝に中世以来奉納の古鏡多数あり、中の一面に「大蔵大明神、正応5年(1292)5月25日 藤原□□敬白」との針書がある。大蔵神社庭園は室町期の標高303メートルの高所にある小池や流れを持つすぐれた庭園として県指定の名勝である。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
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御影 | |||||