由緒 | 古代、この地域に、二見氏が住んでいました。弘仁6年(815)編さんの『姓氏録』に、「大和天孫二見首富須洗利命之後也」と記されており二見の村をひらいたのは、二見首で、首長”おびと”が祖神を祭り、このあたりを治めていたと考えられます。延長5年(927)に編さんされた『延喜式』神祇志の巻に当時の全国の神社名が記されており、この古い由緒ある神社の事を《式内社》と呼ばれています。当二見神社は、《式内社》で、『延喜式』に次のように記されています。「二見神社今在二見村(いまふたみむらにあり)蓋二見首貫本国者(けだしふたみのおびとのもとつくににして)祀其祖火 降命也(そのそほつせりのみことをまつるなり)」当二見神社は、いつのころからか、『雨師神社(雨主社)』とも称されるようになり、ご祭神も「水波能売命」を祀るともされるようになりました。『大和志』(同名所図会)に「二見者布多美と訓むべし 祭神二見首祖二見村在す 今雨師と称す」と記されています。二見は降水即ち雨の意とする解釈もあり、二見が雨師に転化したとする考証もありますが、吉野・丹生の川合にあるこの土地は、肥沃の土地で農耕に適しておる一面、治水も最大の課題で有ったと考えられます。私達の遠い祖先が、この土地に根をおろし、祖神を祭り、水の神を祭りながら、農にいそしみ、家内安全・豊作を祈り、感謝したことと思います。以上簡単に縁起を記しました。 |
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