由緒 | この山は古来、葛城山または高天山(たかまやま)とも呼ばれていました。日本書紀神武天皇の巻に、葛(かつら)の網をきせて土賊をおおい殺した云々に由来しています。更に時代が移り、天智天皇4年(今から約1300年前)役(えん)の小角(おづぬ)16才の時(後の山岳宗教の開祖、役の行者または神変(じんべん)大菩薩と称される)、この山に登られ霊気を感得、長い修行の後、頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺(こんごうさんてんぽうりんじ)を建立され、ご自身の祖神、一言主神(ひとことぬしのかみ)を祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀られ神仏混淆の霊峰とされました。以後、真言密教の霊場として信仰を集め転法輪寺のお寺の山号である「金剛山」が略称のように使われ葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。更に後醍醐天皇(今から約650年前)に移ると、大楠公が金剛山転法輪寺の山伏勢力を利用し、わずか500の兵で智略を使った結果、関東の5万の大軍を寄せつけなかった、千早城の要塞としても関わりの深いものが有ったと言われています。明治元年には神仏分離の憂き目に遭い廃寺となっていましたが、昭和37年、浄財を募り、多数の方々のご協力により、見事に復興する事が出来ました。時代は移りましたが、神仏習合の曼荼の霊場として蘇り老若男女、心身錬成の山として遍く輪を転じております。 |
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