由緒 | 安産の守護神 鎭座地 元、奈良縣高市郡畝傍町大字四分門之脇 現在、奈良縣橿原市四分町305番地 御祭神 右殿 天兒屋根命 中殿 譽田別命 左殿 天照皇太神 境内面積 千四百八十八坪あります 例祭 9月15日 當社は里人鷺栖八幡と稱し延喜式神名帳鷺栖神社靭とあり、古事記垂仁天皇紀の段に鷺栖池の記事と釋日本紀所引氏族略記には鷺栖坂の記事も玉林抄に按するに鷺栖の地名今四分村に在りと云ふ又、池坂も神社の附近にありました。四分の地名は昔遊部と云ひましたがしらずしらずの永い間に四分と云ふ名になりました。又上記御祭神をもって大和三山の中心地点に創立されたのでありますが、その年代は詳かでありませぬ。しかし、延喜式内社としてふるくからひろく知られてゐることから考へてみると、たしかに千数百年以前の創立にかかるものとおもはれ、まさに藤原京以前の旧社であることは、うたがい得ぬ事実であります。古事記によれば垂仁天皇の皇子たる本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝の折、ここにおたちよりになり御祈願あらせられたことになっております。なほ、大和志巻十四に「鷺栖神四分村に在り、中古より鷺栖八幡と称せられ武神として崇敬高く、次で安産の守護神ともなり地方人からあがめられた」といふ意味あひのことが記されています。なほ同じく大和志に「鷺栖八幡」と称し、城殿、小房、縄手、醍醐、四分の五大字で祭祀にあづかるといふことが記されて居ます。 |
---|