由緒 | 明治24年の神社明細帳によれば、当社の創立勧請はKAN遠詳なり難し然りと雖も茲に考ふ可きは神体として鎮座す5体の神像有り、其の製木質神相なり最も往古の物質にして1~2体僅かに全相を存すと雖も其の他半朽或は過半朽なり。里人伝えて弘法大師が当地に来化留錫ありし時に、彫刻以て大師は村社に鎮めよと謂へり、之に因て看れば概ね1000年以上創立勧請なり、今を去る500年前人皇後小松院の御宇永徳2壬戌11月造営勧請 後寛延4年辛巳8月24日社地を求め社殿を造営祭神を遷し敬神今に至る記録確然たり、或は其中永録年間の棟札には一見梵字椎僧都般若坊KAN海並びに8人の大夫各敬白登記連名書あり、これ神仏分離以前の所以かな且又当社の如き里人伝えて最も尋常出拾の社なりと。文元元年5月1日付白川神祇伯資近王殿の御染筆白山社の額片1面離掌の添軒付して授与せらる、永徳2年文明18年永録12年貞亨3年聖徳元年亨保20年寛延4年安永2年天保9年の棟札あり。古老の言に白山権現を祀る3神を祀ると信仰あり、神像5体は若宮として両方に境内社2社あり之の故を以て本庁の許可を得て昭和62年以降加賀の一の宮白山比咩神社より勧請して伊弉諾尊、伊弉冉冉尊、菊理姫神を祀る。 |
---|