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詳細情報
神社ID/コード | 5729 | 0 | ![]() | ||
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神社名/通称 | 國津神社 | ||||
(ふりがな) | くにつじんじゃ | ||||
郵便番号 | 632-0241 | 鎮座地 | 奈良県奈良市都祁南之庄485 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | その他 | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》大国魂命、《配》屋船久久能知神、手置帆負神、彦狭知神 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 円融天皇の天録3年(972)2月初午の日、伊賀国二位峯国津大明神神主・則清庄司と則元大夫の両人、年来争論のところ、則清庄司相負け兄弟3人は、国津大明神の御神体を奉じて、家郷をいで立ち則清の親族の多い河内の国高安に赴かんとして、南殿庄字上田の柏木の下に一夜を明かした。翌朝出立せんとしたところ、御神体の白石は樹下に沈んで上らない。兄弟困りはてているとき神のお告げがあって、此の地に社殿を作り崇め奉った。この年4月8日のことである。其の後160年を経て、則清庄司の子孫もたえ、国津大明神の社殿も崩壊した。南之庄の下司百姓は興福寺二階堂院主に陳情し、南殿庄の反米で造営することを許され、長承3年(1134)9月8日、手斧はじめ21日上棟、25日造立したとある。これが今の国津神社である。国津大明神は都祁の国の神として古代より祀られ、祭神大国主ノ神は万物育成、五穀豊饒、病癒法を司る神とされ、中世、山内7庄と称された村々に祀られた国津神の根元の神社である。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
御影 | |||||
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