由緒 | 素盞嗚神社創始の由緒と祭神の御神徳 今より420余年前正親町天皇の、元亀3年壬申歳鹿畑村は、大水害にみまわれ田畑、山林は申すまでもなく住家にいたるまで崩壊と流出の惨事が起こり、これを追うがごとく疫病が蔓延したため、今後2度と再びこのような災禍が巡って来ぬようにと村人は氏神様を祭祀することとなった。祭神は田畑、山林を守り、病の流行をも防ぎ、村の豊栄と村人の健康を御誓約くださる神様、そして文豪の神様(日本で最初に和歌を詠まれた神様、和歌の祖神「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣造るその八重垣を」)として信仰高き神様である牛頭天王(素盞嗚尊の仏教的呼称)を祭祀することとなって、山城國華頂山の麓、愛宕郡八坂に鎮座坐します祇園社に御降臨分祀を懇情した。翌、正親町天皇の天正元年癸酉歳(1573)鎮座地は現在の宮山を牛頭山と称し分祀が許され、天正3年乙亥歳7月7日、神殿の御造営が成し遂げられ牛頭天王社として華頂山の神霊(牛頭天王示現の瓜生石「キリュウセキ」の御魂石)の御降臨を賜り鎮座坐しました。(社名改称;宝暦5年祇園牛頭天王社、慶応3年祇園神社、明治20年祭神を神道名の素盞嗚尊に改め素盞嗚神社)また、鎮座祭祀後時を待たずして牛天王を主神に國家の安泰、家内安全無病息災延命五穀豊穣、万民豊栄による幸福の祈願崇拝の念厚くして、摂社に若宮社として大國主命を祀利、末社に琴平社として大己貴命(出世の神)を祀る。その他境内外に多くの末社をかかえている。 |
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