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神社ID/コード | 63838 | 4220020 | ![]() | ||
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神社名/通称 | 國津神社 | ||||
(ふりがな) | くにつじんじゃ | ||||
郵便番号 | 518-0505 | 鎮座地 | 三重県名張市奈垣 2042 | ||
電話番号 | FAX | ||||
主な祭典 | 1月歳旦祭 2月祈年祭(浦安の舞奉納),厄除け祈願祭 3月蘭(あららぎ)祭 (浦安の舞奉納、御供(お餅)まき) 11月2日 竃祓 ,湯立神事 ,秋祭宵宮祭 (浦安の舞奉納) 11月3日 秋祭(浦安の舞奉納) 11月23日 新嘗祭(浦安の舞奉納),七五三祭 式年祭 20年毎(本殿祭、本棚祭) | ||||
宮司名 | 中野 昇 | ||||
旧社格 | 村社 | ||||
連絡先 | 090-5004-1138 | ||||
主祭神 | 《主》大國主命,《合》崇徳天皇,應神天皇,下照姫命,建速須佐之男命,火之迦具土命,経津主命,大綿津見命,五男三女神,速玉之男神 | ||||
ふりがな | おおくにぬしのみこと | ||||
御神徳 | 五穀豊穣 國家安泰 家内安全 | ||||
由緒 | 國津神社が鎮座されるこの奈垣の地は、かつての伊勢の神宮領である六箇山に属し、承平4年(934)の文言に「長木」とある。また、長承3年(1134)東大寺文言に「國津祠」とあり、平安時代末期にはすでにこの地に鎮座され祭事を執り行っていたことがわかる。天正10(1583)年伊賀の乱により社殿(古記録)焼失する。 明治4年村社列格、明治41年計18社を合祀、大正3年には三重県告示により神饌幣帛料供進指定社となる。 <特殊神事> 蘭祭のいわれ 現在でも地域のみなさんに「あららぎさん」と親しまれ、國津小学校校歌の歌詞にもある蘭さんのお話しは今から約二二〇年前のことです。江戸時代の天明年間に神屋地区で疫病が流行しました。当時の医師青木儀右衛門(青本家先祖)が寝る間も惜しみ治療にあたりましたが、その病は日々猛威を奮い手の付けようもありませんでした。そこで儀右御門は國津神社で大願をかけると「伊勢国一志郡宇気郷村から蘭大神をお迎えすれば願いは叶う」とお告げがありました。俵右衛門はすぐに伊勢国一志郡(現在の松阪市)の蘭神社に向かい神職に頼み御分霊を授けていただき神屋の早稲冷にお祀りしました。すると驚くことにみるみるうちに疫病の勢力は衰え、以来この地域に流行病、疫病はなくなったと伝わっています。蘭祭は、伊勢国から蘭犬神をお迎えした旧暦二月十六日ころに毎年寄行し、蘭大神のさらなる御神徳を仰いでこの地域や各ご家庭に流行病・疫病(現在では風邪やインフルエンザ等)が流行しないように祈願し、地域の発展と共に医師青木儀右折門大人に感謝する祭礼です。祭典後盛大に執り行われる御供まきのお餅は、あららぎさんのおさがりとして流行病・疫病除けはもちろん、長生き(長寿)・無病息災・厄除け・ボケ封じなどの利益があるとされています。蘭神社はもともと名賀郡國津村大字神屋字早稲冷(現在の名張市神屋字早稲冷)にお祀りされ祭礼も執り行われてきましたが、明治四十一年に政府の政策である神社合祀今によって奈垣、神屋、庵、吉原、羽根地区の十六の神社と共に現在の奈垣の國津神社に一緒にお祀りされることになりました。よって蘭祭は奈垣の國津神社で寄行されることになりました。 また、伊勢国の蘭神社も神社合祀により現在三重県松阪市柚原町2124番地に鎮座される蘭宇気白(あららぎうきしろ)神社となって今なお多くの信仰を集めています。 | ||||
特殊神事 | |||||
氏子地域 | 吉原・神屋・羽根・奈垣・奄 | ||||
宮司記載 | |||||
HP(主) | |||||
御影 | ![]() |