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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード638074219058 画像収集中
神社名/通称八幡神社八幡さん 宮さん
(ふりがな)はちまんじんじゃはちまんさん みやさん
郵便番号510-0256鎮座地三重県鈴鹿市磯山 2-16-10
電話番号059-388-3301FAX059-388-3301
主な祭典秋大祭10月第1土・日曜日子供神輿
宮司名太田 龍三 本務
旧社格村社
連絡先090-8676-5027
主祭神《主》誉田別尊,金山毘古尊,素戔之男命,菅原道真,大山祇之命
ふりがなほんだわけのみこと かなやまびこのみこと すさのおのみこと すがわらみちざねこう おおやまずみのみこと
御神徳武道・文化の導き、航海安全・海難救済、厄病除け、詩歌・文筆・学問・進学、豊作
由緒御祭神 誉田別尊(応神天皇)通称八幡さん武道・文化を導く神 社伝によれば、太田忠左衛門の先祖が本社御神体を字六人彫りの堀切川下流より、背おいて来て、安置したと伝える。其の時、獅子も一緒であったが、忠左衛門の枕元に現れ「別保へ連れてって」というので、後日、隣村の神社へ連れていったので、この神社には獅子がいないとのこと 由緒 東磯山を含む磯山地区の総鎮守である。当社の創祀については、不詳であるが、「八幡宮之縁由」及び「八幡宮年譜吟」等によれば、当宮の神宮寺として正安元年(1299)に白雲山正安寺を建立したと伝えており、社伝によれば正安元年に社が創建されたとされている。また、当社には「勢州奄藝郡磯山 奉造営八幡宮當邨安泰守護所 天文一四年乙巳九月二五日官主 太田三郎右衛門 陣符為末代記之」の棟札一枚が蔵されており、室町時代に当社の社殿の造営が行われていることがわかる。江戸時代末に至るまで、当社は正安寺の管理下にあり、別当職が任じられて祭祀が行われていた。明治に入り神仏の分離により、正安寺の支配を離れ、明治42年(1909)8月14日に磯山にあった諸社を合祀している。その後は東磯山を含む磯山地区の総鎮守として近郊に崇敬を得ている。少なくとも、千年以上の歴史に輝く由緒ある神社である。明治6年3月村社となる。
特殊神事
氏子地域南條 駅前浜 新田 北条 南台 ニュータウン 南園 北浜 京田 磯山団地 磯山雇用促進住宅 
宮司記載神社に獅子がいないもう一つの説に磯山駅南東200mの所に樹木の茂る「くろがね地蔵」が田んぼの真ん中にあります。「くろがね」の樹に地蔵石が抱き込まれていて、神社の獅子を中の川に流したのがこの地につき、獅子が埋められているから、舞の月、夏の夜には笛太鼓の音がしたという言い伝えがあります。霊験あらたかで、願をかけたら成就せぬことはないと、お参りする人が多くいます。
また、磯山駅北側踏切東側に距離150m徒歩2分に第2次旅順港閉塞作戦(1904年(明治37年))の大任を受けて大成功を収めた杉野兵曹長顕彰碑があります。日本が大東亜戦争で負けていなければ間違いなく(仮称)杉野兵曹長神社が建立されていました。
HP(主)
御影画像収集中

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