トップページ 

神社検索(三重)

単語から検索

  単語から氏神様を検索できます。複数の単語は間に空白を入れてください
 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード637344218013 画像収集中
神社名/通称猪田神社
(ふりがな)いだじんじゃ
郵便番号518-0123鎮座地三重県伊賀市猪田 5139
電話番号0595-21-4850FAX
主な祭典
宮司名 
旧社格
連絡先
主祭神《主》武伊賀津別命,少名比古那命,上筒男命,中筒男命,底筒男命,《配》健速須佐之男命,速玉男命,事解男命,大山咋命《合》天児屋根命,金山毘古命,大物主命,大山祇命,猿田彦命,応神天皇,菅原道真,
ふりがな
御神徳
由緒当社の創祀については詳らかにし難い。社伝によれば、平安時代には『和名抄』の伊賀郡猪田郷の名を承けた郷の総鎮守として猪田村営と呼ばれていた、と伝えている。現存する天正一八年(一五九〇) の棟札には、「住吉大明神」と記載されており、中世以降明治に至る間は、住吉神社と呼称されていた。当社を、延喜式内社猪田神社にあてることは、現在に至るまで議論が続けられており、状況証拠のみで決定的な根拠はない。下郡の猪田神社とする決定もし難い。しかしながら、互いの鎮座する位置は、社地後方の丘陵を間にはさみ、背面しあっている点や昭和五三年頃に本殿背後の猪田神社古墳頂部付近から「伊賀津彦大明神廟前」「天文三年甲午八月一五日施主橘安重」と刻した四角型石灯龍が発見され、他の遺物に室町期の小型唐草文瓦が存し、また後世のものではあるが、当社境内鳥瞰絵図の写しには、古墳頂部に、本殿とは別の小祠が描かれている等、古くから有力な社として鎮座していたことは確実であり、或いは森川櫻男氏が指摘されている通り、国史見在社伊賀津彦社とする見解も捨てがたい。  明治四一年(一九〇八)、山出村社熊野神社、笠部村社春日神社ほか猪田村猪田・山出・笠部の無格社二一社、境内社九社を合祀し、住吉神社の呼称を猪田神社と改めた。加えて、大字上ノ庄の村社菅原神社と、その境内社五社、無格社三社も合祀した。特記事項 当社の周辺及び背後丘陵には、五基の横穴式石室をもつ古墳があり、猪田・山出・上之庄にひろがる長野古墳群が確認される。特に、社殿背後の猪田神社古墳は、石の玉垣をめぐらした径二四メートル、高 四メートルの円墳で、西に開口する横穴式石室をもち、六世紀前半頃のものと推定されている。また社殿南西約一〇〇メートル ほどの丘の上には榊の古木が一叢をなしており、山宮の跡と伝承され、社殿南側には 「日月石」と呼ばれる円形と三角形の花崗岩岩の磐座があり、磐座祭祀の跡といわれている等、古社としての要因が数多く存在している。
特殊神事
氏子地域
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

ページトップへ 検索ページへ