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神社検索(三重)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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詳細情報

神社ID/コード635974215012 画像収集中
神社名/通称志氐神社
(ふりがな)しでじんじゃ
郵便番号510-0003鎮座地三重県四日市市大宮町 14-6
電話番号059-331-0620FAX
主な祭典祈年祭・例祭(秋祭)・新嘗祭・大祓式
宮司名富永 悠司 本務
旧社格県社
連絡先
主祭神《主》気吹戸主神,《配》伊邪那岐命,伊邪那美命,《合》上筒之男命,中筒之男命,底筒之男命,応神天皇,大山祇神,奥津日子神,奥津日女神,久那斗神,祭神不詳
ふりがないぶきどぬしのかみ いざなぎのみこと いざなみのみこと うわつつのおのみこと なかつつのおのみこと そこつつのおのみこと おうじんてんのう おおやまつみのかみ おきつひこのかみ おきつひめのかみ くなどのかみ 
御神徳祓之祖神
由緒延喜式内社。当社の創祀について社記に垂仁天皇の御代とするのは、倭姫命が天照大神を奉じ桑名より鈴鹿の忍山宮への遷幸の路次に当っている為である。また天武天皇が壬申の乱に際し、吉野より鈴鹿を経て、朝明郡迹太川辺にて神宮を望拝した時、木綿取垂て大御身の禊をなしたところとする。志氐(漢字表記「氏」の下に「一」)の埼、志氐が野の地名あり、「シデ」とは御幣の意味か。すなわち「天皇四方に班幣し、祓の大神たる気吹戸主神を祭祀し、禊、修祓を為されし御跡其儘に千有余年の後迄も尊くも斎ひ奉れる神社」とされる。このことは天平一二年、聖武天皇伊勢国行幸の析、供奉の宮人丹比家主真人の歌の「後れにし人を偲はく志氐の埼 ゆふとりしでてさきくとそ思ふ」(万葉集一〇三一)に記されている。古く高御前社と称し、旧羽津村、八幡村、吉沢村、別名村の氏神として尊崇された。明治四一年、志氐神社境内社住吉社ほか三社を合祀。境内社須賀社は明治四〇年、一○社を、同じく境内社大宮能賣社は明治四一年に一三社を合祀し現祭神となる。
特殊神事
氏子地域旧羽津村 八幡村 吉澤村 別名村の旧4ヶ村全域 霞ヶ浦町南部 霞ヶ浦町北部 白須賀町 富士町 金場町 城山町 八田第一 八田第二 八田第三 羽津町第一 羽津町第二 羽津町第三 羽津中第一 羽津中第二 大宮第一 大宮第二 大宮第三 羽津山町 大宮西町 別名第一 別名第二 別名第三 別名第四 別名第五 別名第六 山手町 羽津いかるが町 緑ヶ丘町
宮司記載聖武天皇が北伊勢地方へ行幸した時に供奉した丹比家主真人が当社で詠んだ歌が万葉集に載る。
HP(主)
御影画像収集中

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