由緒 | 『宝永八年(一七一一)の村差出帳)に、「神祠は、氏神八幡、山之神」とある。『員弁雑誌』に、「八幡宮、村内に在、社頭東向、例祭八月一五日、梅戸郷中の産土神也、四足の鳥居在。」とある。『続員弁雑誌』では、「八坂神社 字尼ケ谷東向にあり、鳥居坂の下にあり、慶応元年(一八六五)乙丑七月勧請なり(一名津島牛頭天王を祀ると云)、例祭旧七月一五日」とある。又、村の『勢州員弁郡梅戸県八幡宮造建記』には、「春秋めぐりて霊祠すでに朽ちぬ、故に郷人、大工集まり一宮を造営し、三月の望日新しき宮に遷しまつる。おもんみるに、神功いや広く、神徳は昭々たり、専ら国の太平と村中の平和福寿の長からんことを祈る。火災盗難なく一切の願望悉く達成せんことを。享保二年(一七一七)三月望日 施主梅戸村惣中 匠工山本権太郎」「神殿、間ロ二間三尺、奥行二間一尺、建坪五坪四合一勺。創立年代不詳、破損につき享保二年三月梅戸郷の寄付にて再建、又破損につき文政一三年(一八三〇)六月金井村氏子の寄付金をもって今の神殿を建立す」とある。『員弁郡郷土資料』では、「八幡神社 字八幡にあり、祭神は譽田別命にておわす、由緒並に勧請月不詳、明治四三年(一九一〇)四月一九日大字梅戸鳥取神社(土生神社)に合祀す。八坂神社 字尼ケ谷にあり、祭神は須佐之男命なり、由緒並に勧請年月不詳、明治四〇年(一九〇七)一二月一〇日村社八幡神社に合祀せり。山神社 而下沢にありしものにて祭神は大山祗紙神、由緒勧請年月不詳、明治四〇年一二月一〇目八幡神社に合祀せり。」と記されている。昭和二一年(一九四六)四月一〇日旧社地に遷座して現在に至る。 |
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