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詳細情報
神社ID/コード | 3023 | 4219067 | ![]() | ||
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神社名/通称 | 菅原神社 | ||||
(ふりがな) | すがわらじんじゃ | ||||
郵便番号 | 519-0323 | 鎮座地 | 三重県鈴鹿市伊船町 1098-1 | ||
電話番号 | FAX | ||||
主な祭典 | 夏秋例大祭 御鍬祭 新嘗祭 野上り祭 | ||||
宮司名 | 真弓 盛保 | ||||
旧社格 | 村社 | ||||
連絡先 | 059-371-0061 | ||||
主祭神 | 《主》菅原道真,天照皇大神,《配》底筒之男命,中筒之男命,表筒男命《合》弥都波能売命,大山津見神, | ||||
ふりがな | |||||
御神徳 | 学業成就 | ||||
由緒 | 菅原神社のご創建年は、定かではありませんが、日本武尊の崩御の地を御父君の景行天皇が御幸されました。そして、一日御幣川に遊猟されたとき、不思議なことに近くの山に天照大御神様が天降りなされたという。そこで天皇は、自ら鮎をお採りになり、天照大御神にお供えになられました。天照大御神が天降りなされこの山を、石大神と呼び、美しく神々しい山容は、今でも人々にあがめられています。このご聖事に習い、御幣川流域の各村々では鮎を捕り、この菅原神社では、毎年6月18日に漁を行い、干鮎にして伊勢神宮に奉納してまいりました。このことから、本神社はお伊勢様の御饗の社として創建されたのが始まりと考えられます。そのためか、菅原神社の創建時は、当初御幣川の川岸近くにありました。明治に現在の地に遷され、お祀りするようになりました。ところが、この干鮎の神事も江戸の終わり頃には廃れてしまいました。このような歴史を持つ菅原神社ですが、江戸時代には「天満宮」あるいは「天神社」と称されていたことが、棟札から窺うことができます。また、江戸時代の三国地誌には、[天神祠神明春日左右](巻22)とあり、また江戸末の「伊船村明細帳]にもこの神社名が記載されています。ところで菅原大神様を、何時いかなる経緯から主祭神としてお祀りするようになったか不明です。推測の域を出ませんが、村上天皇は、菅公の誠を喜ばれ、天暦10年伊勢に奉幣史を派遣されたという。その奉幣に因み主祭神としてお祀りするようになったものと考えられます。 | ||||
特殊神事 | |||||
氏子地域 | 伊船町 | ||||
宮司記載 | |||||
HP(主) | |||||
御影 | ![]() |