由緒 | 明治2年己巳年11月舊津藩主藤堂高猷安濃郡八幡町八幡神社の境内に小祠を建て戊辰の役官軍として戦死したる藩士の霊を祀り表忠社と稱したりしが明治7年3月官祭に列せられ同8年10月招魂社と改稱す其後明治10年西南の役に於ける本県下出身戦死者を東京靖国神社に合祀せられたるも遺族の多くは遠隔の地にある同神社に参拝すること能はざるを憂へ明治19年許可を受け本社に合祀し明治34年6月官祭招魂社と改稱す同35年明治27、8年戦役及び明治33年清国事件に於ける死没者合祀の許可を受け明治42年津市大字下部田に移築し同時に明治37、8年戦没及韓国暴徒鎮壓事件死没者を合祀す明治43年11月13日 大正天皇東宮に在しし時本県に御駐軍の際東宮侍従田内三吉を差遣あらせられ幣帛料を献せられる 明治44年5月 昭憲皇太后御参拝の際幣帛料良御下賜あらせられる 同年七月朝鮮暴徒鎮壓事件並に臺灣土匪・又は生藩討伐に従事し死歿せる者を合祀し、大正4年7月、日獨戦並びに臺灣蕃匪討伐事件及元治元年京都御所に於て戦死したる桑名藩士を合祀し大正10年4月同11年4月の兩度に大正3年乃至9年戦役に従事し死没せる者を合祀せり例祭は4月20日たりしが昭和7年2月2日許可を受け4月30日に變更せり爾後数度合祀を執行し今日にいたれり 昭和14年4月1日三重県護国神社と改稱す (旧神社明細帳より) 年表 明治 2年11月23日 八幡神社(津市)の境内に表忠社として創祀される。明治 7年 3月17日 官祭に列せらる。明治 8年10月 招魂社と改称す。明治34年 6月14日 官祭招魂社と改称す。明治42年 9月19日 現在地に移築遷座す 昭和14年 4月 1日 三重県護国神社と改称す。昭和20年 7月27日 戦災により諸殿舎炎上す。 昭和21年12月26日 三重神社と改称す。 昭和28年11月 2日 再び三重県護国神社と称す。 昭和32年 4月 1日 別表神社の指定を受く。昭和32年10月21日 戦災復興、本殿以下諸殿舎の造営完成し、本殿遷座祭斎行せられる。昭和35年10月21日 終戦十五周年に当り、天皇陛下より幣帛料を賜わり、合祀概了奉告臨時大祭を斎行す。昭和40年10月21日 終戦二十周年に当り、天皇陛下より幣帛料を賜わり、終戦二十周年臨時大祭を斎行す。昭和50年10月21日 終戦三十周年に当り、天皇陛下より幣帛料を賜わり、終戦三十周年臨時大祭を斎行す。昭和50年10月27日 天皇 皇后両陛下には、三重国体御臨席のため県下御巡幸の折、当神社に行幸啓遊ばされ幣饌料を御下賜、御親拝を賜った。昭和55年 5月23日 全国植樹祭に御臨席のため当県に行幸啓あらせられ幣帛料を御下賜。昭和58年 3月17日 本殿以下諸殿舎の修復御造営完成し、本殿遷座祭斎行せらる。昭和60年10月21日 終戦四十周年に当り、天皇陛下より幣帛料を賜わり、終戦四十周年臨時大祭を斎行す。 |
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