御由緒
矢作川と籠川の合流する荒井町の国道153号線の東側の杜が兵主神社。延喜式にも名の見える由緒の深いお宮である。本来の位置は荒井と梅坪の中間の位置、
通称大島にあったと伝えられている。鳥居の額にも大島大明神とあるように、篭川の流れが矢作川の注ぐ付近で2つに分かれ、島を作っていたが、
この島にあった神社が現在地に移されたものと言われている。
祭神は大物主命である。大物主命は出雲神話で名高い大国主命のことで、この外、大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神
、宇津志国玉命などと称されている。大名持の名のように功績の多くとか、威力のあるとか言った日本国土を治める強い人の意味を言う。
日本の神話における中心となる神であるが、その働きは国内平定、国土経営修理、天下巡行、農学、国土の保護と医薬温泉の神とも言われ、
まさにオールマイティな神様である。兵主神社の祭神としてはまことに名が体をあらわした神様といえよう。
『豊田の史跡と文化財』(豊田市教育委員会、昭和60年3月)40、41頁より
御由緒2
名鉄線越戸駅下車、南東400米、国道153号線沿いに鎮座します。矢作川と籠川の合流地点に位置します。旧社地は、更に西方にあったようですが、
河川の洪水による移動により現在地に遷ったとされています。
祭神は7柱になっていますが、元々は大物主命・須佐之男命・三穂津姫命の3柱が祀られていたようです。
江戸時代には、社地の西方に水が流れ、島のようであったので「大島大明神社」と呼ばれていたようです。
高橋荘荒井村は、縄文時代中期から人々が住み、拓けて行った地域で、このことは高橋遺跡・舩塚古墳などから推定されます。(舩塚古墳は、
矢作川と籠川との合流地点、縄文時代から平安時代にわたる複合遺跡で伊勢湾海浜地帯との交流を示す糟畑式土器が混在している。)
恐らく加茂氏の一族が此の附近に住み、祖神を祀ったのではないでしょうか。加茂氏は、大物主神(饒速日命)の子孫という大田田根子命の孫、
大賀茂都美命を始祖とする氏族です。
三穂津姫命は、いわゆる宗像三神の長姉で、この地に住む加茂氏の人々が、矢作川を使って交易することが多かったので、
航海安全の神とされる三穂津姫命を祀ったのでしょう。社伝にも、「高橋荘大島郷、大島大明神、磯城瑞籬(崇神天皇)御字、
加茂君大鴨積命、暫居 此郡、以 其祖先之神 而祭 大物主神 配以 三穂津姫」とあります。
境内地は、3600余坪、山林2町歩もあり、立派な社風を残しています。戦前は梅坪地区も含まれ、氏子区域も広汎に渉っていたようです。
『愛知の式内社とその周辺』(小林春夫著、式内社顕彰会、平成13年5月)216、217頁より
御祭神 《主》大物主命,三穂津姫命
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