御由緒
上野市場に鎮座する八幡社は、上野下村城(会下)城主内藤清長天文年間築城後に城角の地に奉祀され天文11年(1542)12月尾張の織田信秀の襲うの時、
清長及び正成善く固守し拒ぐ、其の偉功に依って松平広忠深く之を賞し幡豆郡羽角村を賜る。此の地に羽角山神社ありこれを勧請して城北の現在の地に合祀奉斎されし
と伝えて居る。
下村城は、清長・家長・政長を経て清政の時に至り徳川家康に仕え、慶長12年(1607)2月久能山に移り廃城と成ったのである。
天文18年(1549)の寄進願文、永禄7年(1564)三河一揆蜂起の願文等当社に保存されている。
廃城以後は岡崎藩より石原百度・内藤弥次右衛門・野々山七左衛門・神谷弥五郎・長谷川出雲・前嶋治平・水野彦九郎を上野に置き此の地を治めしめた。
世にこれを上野七人衆と称した。
後年家康江戸に移る後は田中吉政の領土に属し以後代々岡崎城主の封土と成ったのである。
『上郷風土記』(上郷地区コミュニティ会議 上郷風土記編集委員会、昭和63年3月)より
御祭神 《主》応神天皇,《配》天照大御神,市杵島姫命
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